自由の女神の突然の出現からもう1か月以上。この間の経緯を管理人が書きつづった内容を再編集しつつ振り返ってみる。
まず、「出現」した日とその翌日
6月6日(土) ニ十軒坂の坂上の正面に突然巨大な「自由の女神像」が出現。
ニ十間坂といえば、函館山麓の数ある坂の中でも、その道幅の広さとベイエリアに直接通づるというロケ―ションもあって基坂、八幡坂と並んで最も有名な坂のひとつだ。
坂の上にはかつて古いお土産やがあったが、数年前に取り壊されて空き地となっていた。絶好の景観ポイントであり、周囲には東本願寺別院やカトリック教会などもある、函館市の景観指定地域。
今回はベイエリアで営業している水産物販売会社が店舗を出すことで建物がほぼ外観を現したところだ。
建物外観の方は市役所などの指導もあってか、相応のレベル(景観を著しく損なわない範囲?)になっているようだが、この巨大な彫像はどう考えても周りから浮き上がっていて異彩だ。とにかく「目立つ」ことを狙って、屋外広告規制の法網をくぐるというあざとい「商魂」が見え隠れするようなやりかた。
行政の迅速かつ厳正な対応がまたれる。
6月7日(日) 昨日から物議を醸しているニ十軒坂の「自由の女神」像にルーツ?
函館市の所管部署では早速対応の内部協議を始めたようだ。そもそも、店舗の建屋デザインでもこの業者とは紛糾したらしく、景観保持の観点から強く指導してきた矢先の今回の「女神像」設置。
寝耳に水だったようだ。
それにしても、厳密には景観法にも景観条例ににも「違反」しない「ニッチ」な部分という意見もある。設置者との間で紛糾することは必定。
さて、この女神像、足元には「ニ十軒坂の女神」とある。だが、どうみてもこれがニューヨーク・マンハッタン島にそびえる「自由の女神」のコピーであることは一目瞭然。(しかもかなり粗悪なコピーだ。なぜ粗悪かというと例えば左手に持っている本、コピーはのっぺらぼうだ)
さて、なぜニ十軒坂に「自由の女神」か。もちろん設置者の某水産会社社長のご意見を真っ先にうかがうべきところだが、なんとGoogleで調べたら あった!
終戦後、函館に進駐してきた米軍77師団。その隊章(肩章)がなんと「自由の女神」だったという。この師団が「紐育師団」(ニューヨーク師団)であることを意味していたという。
チウインガムをかみ、煙草をふかせて宿所への出発を待つ兵士達の姿には戦勝者の驕つた態度は微塵もなく、軍服の右肩に刺繍された〝自由の女神〟が象徴するやうな親しさを感じさせられる。(昭和20年10月10日付け「道新」)。
函館市史参照
そして、この師団の本営がなんとニ十軒坂下の五島軒におかれたという。 (下の写真左はニューヨークの自由の女神、右はかの師団の肩章。
というわけで「曰く因縁」は立派にあるという主張がなされるのではなかろうか。(注:実はこの観測はどうも杞憂に終わったようだ、その後設置者の社長からはそうした「理由」は語られなかった)
商売優先なのだろうが、景観指定地域でこういう周辺景観と不調和な「工作物」を設置して恬として恥じないような業者に行政のみならず住民も声をあげていくべきだ。
なお、数日後には景観審議会。見識と実効を伴う判断を期待。
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